サービサー設立

【サービサー設立の背景】

◆ローン営業本部から人事異動があり平成10年は事務効率推進部長として全社業務革新活動を進めつつ、部内事務センターの分社化を提案してABパートナー(株)を設立している頃に、銀行の不良債権問題が大問題として毎日のようにマスコミを賑わしておりました。その不良債権を回収する必要性から議員立法で弁護士法の特別法としてサービサー法が出来て債権回収会社が出来ることになりました。

 

◆当時、以前からの知り合いであった三洋信販の人が時々福岡の本社から東京に出張で来ていました。来るといつもお会いしていましたが、お会いしてもお互いの会社のことなどローン業界の話をしていました。そんな時、業界新聞を見ると三洋信販がサービサーを平成11年に設立したとの記事でした。サービサー設立の情報収集に来ていたのだとその時知りました。平成11年は私も事務効率推進部長になって1年だったから多忙でした。しかし、三洋信販のほかに信販会社、銀行が次々にサービサーを設立していました。

平成12年になりその数は40社になっていました。そこで知り合いを通じてプロミスの動向を調べるとどうも設立準備室を作って進めているとのことでした。サービサーは金融機関の不良債権処理の切り札として金融業界に不可欠であるとの認識で、銀行はじめ信販・銀行・債権管理組合などが設立していました。

アコムではサービサーは新規事業としないと事業開発室では考えていて常務会のテーブルに乗らなかったのですが、私はサービサーの設立状況や三洋信販・プロミスさんの動きなどを見るとこれからアコムが更に飛躍するには絶対に必要な事業であると確信して、担当常務へサービサーの必要性を説明して常務会へ提案、サービサー設立の承認を受けました。私は担当業務以外の事業開発部を飛び越えて常務会へ付議しましたから色々と批判されましたが、ローン事業をあまり知らない人達が主要メンバーの事業開発部でしたからいずれ分かってくれると信じて取り組みました。

 

【サービサー設立準備活動】 

◆事務効率推進部長でしたが特命でサービサー設立の準備に取り掛かりました。準備の段階でサービサー設立には壁があることが見えてきました。サービサー設立する場合は取締役弁護士が一人必要で、取締役弁護士は弁護士会の推薦が条件でした。しかし、東京の三弁護士会は消費者金融会社には推薦しないとの暗黙のルールがあったようです。

そこで、どうすれば突破できるかを模索を続けました。三洋信販の方に話を聞くと福岡県ではすんなり推薦されたけどその取締役弁護士は地元で実力者だからかな?とのことでした。私は住居が千葉県だったからいっそ千葉県で設立したら、とも考えましたがやはり東京が色々と便利です。そのような時に債権流動化法研究会に参加したところ重要な人物と知り合えました。

サービサー法でも第一人者の片岡総合法律事務所の代表弁護士、SPC組成で第一人者の東京共同会計事務所の公認会計士(アイアール設立当初の監査役)、そして新生銀行OBで銀行業務、外資系投資会社に詳しいリサ・パートナーズの創業社長(アイアールの初代社長)、このメンバーと食事しながら情報交換をしておりました。

サービサー設立に当たっては三洋信販の旧知の人から情報収集する一方で、その時同時に設立準備している同業の会社プロミスがありましたから、その設立準備担当者(設立時の社長)と情報交換しながら取締役弁護士の弁護士会承認という壁をどうクリアするかと話し合っていましたが、そのうちにプロミスにおいては大阪で弁護士会の承認を得られるとのことから大阪府で会社設立準備を進めました。

 

◆先の食事会で知り合ったリサ・パートナーズの社長はシティグループがアコムの法人債権売却でそのデューデリジェンスの責任者としてアコムに出入りしていた人でした。その頃、リサではサービサー会社を設立準備をしているとのことでした。良く良く話を聞くとサービサーに必要な資本金5億円が足りなくて止まっていると。

それから何回か話をするうちにリサが準備しているサービサーには弁護士会から推薦を得た弁護士がいること、監査役に公認会計士がいることが分かり、リサで止まっている資金不足を支援出資して合弁会社を作るのも良い方法だと思い、リサの社長に相談したところ大いに前向きだったのでそのアイデアを実現する根回しを始めました。

合弁の名分は「リテールに強く資金力があるアコムと銀行業務、外資系投資会社に強いリサ」が合弁会社としてやればきっと面白い、お互いに弱みをカバーできると大枠で合意しました。

 

◆合弁会社としては大きな壁がありました。債権回収会社はアコムとリサパートナーズが資本金5億円の6:4の出資が望ましいが、リサの売上や業績は個人会社並みであったので、資本金として不足1億数千万円をどのように手当するか、、そこで経営企画部長と相談して不足の資金は株式担保でリサへ融資する方式としました。(この実質無担保融資には裏があるなどと言う者がいました、しばらくしてリサが上場することとなりアイアールの社員もストックオプションを頂くこととなったときに見返りだ!などど噂されましたが、もちろん裏取引など一切有りません。リサが数年で上場できるとはその当時は全く想像も出来ませんでした)

合弁会社として平成13年に設立、双方から代表取締役が選任されて社長にリサの社長、副社長に私が就任しました。その後サービサーとして法務省から許可番号が51番を授かりました。当時はメジャーで活躍していたイチローと同じ番号なので縁起がいいと設立メンバーで喜びました。情報交換を頻繁にしていたプロミスの子会社サービサーが許可番号52番で許可されました。サービサー設立は当社は出遅れて準備したけどプロミスより先に許可を受けてホッとしました。

 

【サービサーの事業内容】

◆アイアールでは仕入れ(再建買取・回収受託)を大手銀行や地方銀行、そして外資系投資銀行をリサ・パートナーズのメンバーが担当して、アコムからのメンバーは主に小口の金融会社、主に銀行子会社である住宅ローン保証会社、クレジットカード会社や信販会社を担当しまた。

設立にあたって人事部へ出向社員の人選を依頼しましたが全く相手にしてもらえない状態でしたから当初のメンバーは私の周りにいた社員達でした。そこで、戦力となる人材を確保するために銀行へお願いすることにしました。その時に惜しみなく協力してくれたのは財務部の皆さんでした。お取り引きである銀行の人事部を訪ねて人材派遣、転籍出向のお願いです。銀行でも早期退職者の引受先を探していましたから喜んで人材を受け入れることが出来ました。結果的に5行から7人が転籍して頂きました。

 

◆平成13年当時は大手行などが不良債権を定期的に売却しており、その入札に参加しました。最大手銀行からの入札では27億円程の見積もり案件で入札するような大型案件がいくつかありましたが、残念ながらそれは落札できませんでした。それを落札したのは親密な同じ消費者金融会社のサービサーでした。そのサービサーはJCFAの経営研究会で仲良くしていた方の会社が私がサービサー設立しているのを聞いて、急遽そこでも設立した会社でした。そして、そこのデューデリ担当者は奇しくも元リサパートナーズ・アイアールに在籍していたことがあり、私が転職先としてその会社へ副部長として紹介した人でした!そのサービサーは勢いにのりあっという間にマザーズに上場しました。

*余談ですが、紹介した不動産デューデリに強いその人はあっという間に取締役となり、兼任で親会社の取締役、常務と出世して親会社の不動産担保ローンの立役者となったのです。しかし、リーマンショックで不動産投資がはじけてその会社グループは弾けてしまいました。

 

【上場準備】

◆上場と言えば共同出資したリサ・パートナーズも不良債権投資、企業再生の波に乗り急成長してあっという間にマザーズに上場しました。それによりアイアールの社員にもストックオプションを頂けたので相当額の収入を得た社員も出てきました。しかし、親会社アコムの人事担当常務からは厳しく反対されました。曰く「出向した社員だけがストックオプションを受けるのはアコムグループとしては社員の不公平が横行して人事政策上とても看過できない、辞退してほしい」と言うものでした。しかし、親会社を離れて別会社へ行って頑張てるからそのお礼や仕事へのモラールアップとしてストックオプションを受けても良いのではないか、それは、出向者へのモラールアップになりひいてはアコムの業績にも貢献できると考えていました。

 

◆さて、アイアールでも設立当初から機を見て上場しようと準備していました。設立から4年経過した平成17年8月末には証券会社からも現在の業績なら上場基準はクリアできるとの指導もありキックオフ大会を開催して翌年度に上場申請しようとしました。

しかし、親会社の人事担当役員から子会社アイアールの上場には断固反対するとの反論がなされ、キックオフ会議を開催したころからいろいろと不穏な噂や怪情報が出てくるようになりました。行動には注意した方がいいですよ、興信所が尾行しているみたいですよ、監査役か部長が盛んに人事担当役員と打ち合わせしているみたいですよ、など小説まがいの噂が聞こえてきました。

 

◆「立場が変われば意見が変わる」と言いますが、親会社の人事担当役員からすれば子会社が上場してそこで出向社員がストックオプションを得るのはとんでもないこと、本体の社員から不平不満のもととなるとのこと。それも確かに一理あります。

一方で上場できる子会社を作ってそこで頑張った社員にストックオプションを出すことで全社的なモラールアップになる、このように考えていたのですが、やはり親会社は強いですね(笑) その後、上場の話は一切なくなりました。

 

【会社設立、サービサー設立コンサルティング】

◆アイアールを離れグループ会社へ移りましたが、しばらくしてアコムを退職しました。

30歳代に一度、退職して当時急成長していた飲食業を同僚3人で起業しようと準備してたことがありました。しかし、なかなか意見がまとまらずモタモタしているうちに会社の業務が面白くなって社業に専念した経緯がありました。

アコムの子会社でモヤモヤしている時に、親密なマザーズに上場しているサービサー(ニッシン)で執行役員への誘われてお手伝いすることとしました。しかし、そのサービサーの親会社がリーマンショックで倒産状態となり、サービサーでも人員整理がなされたので退職しました。

そこで若いころから念願であった生涯現役をするには自分の会社が一番大事だと決心して現職のヒカリパートナーズを創業して専念することにしました。ヒカリパートナーズでは人材派遣とコンサルティング(サービサー設立支援、消費者金融など)をスタートしました。

 

◆サービサーに勤務していた時に「サービサー懇親会、三木会」を主宰していました。第三木曜日に懇親会を開催して、サービサー勤務の人達や興味をお持ちの方の情報交換会、だいたい30人強が集まっていました。

⁂余談ですが、その頃、金融クレジットの関係者が情報交換をする「三水会」があり、そこの主催者の人柄もありいつも30人位の人が四ツ谷荒木町のお店に集まっており、私も時々、参加させて頂きました。これをお手本に三木会を作りました。

 

◆その三木会に事業者金融の方が参加していて、ある時、サービサーを設立しているがいろいろと問題があって頓挫している、出来たら設立の指導、助力をお願いしたい、と相談されました。

その時はアイアールを辞めてニッシン(サービサー)に居ましたが、ちょうどそこを辞めて独立しようとしていた時なので、喜んでお引き受けすることとしました。

 

◆その会社は人形町にあり、事業者向けの手形貸付、不動産担保貸付を行っている小規模の会社でした。サービサーを設立するに当たり法務省の許可(届け出じゃない)申請が必要であり、その許可のポイントは三つ、一つは反社関係者や犯罪や金融事故などの当事者・関係者でないこと、二つ目はサービサー法を遵守する態勢が確保されていること、三つ目は経済的基盤がしっかりして事業継続が見込めること、以上を許可申請において説明できる資料作りと説明できる人材がいる必要があります。組織規程と人材の確保によりサービサー運営態勢を構築するために、私がその会社:トービル債権回収の専務・役員に就任することとしその他にも適材を雇用することなどで8ヶ月後に許可を頂くことが出来ました。

 

◆その後、日本橋にある事業者向け金融会社(過去は日掛け金融)のオーナーから依頼がありやはりサービサーの設立に向けてコンサルをすることとなりましたが、そのサービサー:ベル債権回収では役員になるのはお断りして代わりに後輩を推薦して役目を果たしました。

また、ちょうどその頃に掛川市にあった消費者金融の会社社長から依頼があり設立から事業スタートしてしばらくの間毎週、掛川まで新幹線往復して規程やシステム作り、許可後はデューデリジェンス:買取債権の値付け、などのお手伝い、指導をしました。