消費者金融の無人契約機はどのような経緯で誕生したのか誕生ストーリーです。


1.無人契約機の誕生の背景

 

消費者金融に限らず金融業界での店舗は有人店舗が当然でしたが、平成5年7月に初めて無人店舗と言える「無人契約機と自動入出金機(ATM)」だけの社員不在の店舗が新宿に出来ました。この無人契約機「むじんくん」と無人店舗はどのような経緯で生まれたのかお話しましょう。

昭和58年に大きな貸金業法の改正があり、多くの貸金業者が閉鎖、縮小しました。アコムでは昭和58年当時は600店舗近く出店していましたが、1、2年後には3割程が統廃合されました。その後3年ほどは新規出店どころではなく債権管理と経営の立て直しに精一杯でした。しかし、貸金業改正ショックから立ち直り再び出店攻勢が始まりました。

 

【天の声】

平成2年度の下期には半年で95店舗の新店が出店されました。出店店舗には3名の社員、ATMやパソコン事務機器、店舗家賃や工事費、看板設置費用、広告費などが掛かるため店舗当たりでは初年度に5千万円程度の大きな費用負担となります。従って、新規出店を大量にしたらその翌年度は新規店舗のほとんどが赤字ですから莫大な年間経費の増加となり収益が低下します。その新年度の予算繰りをしているときに思った通り「こんなに経費が増えるのは新店に経費が掛かりすぎるからだ、もっと費用が掛からない新店舗は出せないのか、研究してみろ!」という天の声(社長)が出てきたのです。

 

店舗は最大どのくらいの店舗数が出店可能なのか?600店舗に近くなったら業法改正で大打撃を受けて6割まで統廃合したばかりでした。しかし、個人的にはある思いがありました。それは昭和61年に日経新聞の主催でアメリカへ視察旅行をしたときに小売り最大手のシアーズやデパートのサックスフィフス・アベニューなどの流通業界の視察をしました。その時に店舗数が3000以上あるとか、チェーンオペレーションやマニュアルの重要性など学びました。日本でもコンビニが数千店になっていたし自動車販売機なら数十万件あるから無人店を2千ヶ所出しても行けるのではないかとイメージしていました。談話:このアメリカ視察に3人が参加してその報告を社長へしたら、それほど刺激を受けるなら定期的に視察団を派遣してみようかとなりその後の海外視察制度が始まりました。

 

新店舗の費用内訳をみると「広告費と人件費」が大きな費用です。費用を削るとしたら人件費、社員数を削減できないか? それをクリアするに「有人店舗を無人店舗にするしかない、しかし、無人店舗なんか作れないよ」。店舗の無人化?無人貸付入金機のATMはあるけど無人の新規受付機は開発できるのか?

 


2.新規の客様の心理

営業店の支店長をしているときの一番の悩みは「新規獲得と期日管理」でした。毎旬、毎月の数字を見るのが、考えるのが辛くなります。この二つは支店運営の車の両輪であるから無茶な新規獲得したら直ぐに期日管理が悪化してしまう、かといって新規獲得が弱いと融資残高がアップせず期日管理も良化しない、そうすると支店の運営で一番重要なのは新規獲得なのです。きっとどんな商売も一番重要な業務は新規獲得ではないでしょうか。

支店長の一番の責任と悩みは、「新規獲得と期日管理(延滞管理)」の数字です。毎月の支店長会議でこの数字が良い時はニコニコ顔、一方悪い時は泣きそうな顔で下を向いていました。当然、業績評価もこの数字次第でした。どうしたら新規が獲れるか、どうしたら期日管理が良くなるか、それが支店長の仕事でした。期日管理を良くするには新規の良客を獲得するのが一番です。新規の良客を獲得すれば延滞は発生しない、分母の残高は増加するから期日管理も良くなるのです。

 

私が支店長をしていた新店は山手線でも下から何番目の乗降客が少ない駅前店舗でした。どうしたら集客できるか、いつもサブ社員と議論していました。議論していても尽きないのでお店の周りをしょっちゅうブラブラとしてしていました。支店が入った雑居ビルにはもう1社の同業の店舗が入っていました。時々、お客様らしい方がビルに入って行きます。しかし、よくその人を見ているとビルの近くで看板を眺め、ビル入り口を見て、一度入口まで来て一度通り過ぎてまた戻って来て、覗き込むようにして不安げにビルに入られました。躊躇い(ためらい)があるようでした。新規受付を多数経験していると入店されたその雰囲気でほとんど新規客か既存客かが判断できます。私は5,000人以上の新規受付をしましたから新規のお客様の態度ですぐに判別出来ました。入店されて一目で「初めてのご利用ですか?」とお声をかけてカウンターへ案内します。しかし、時々間違うことがありました(笑)。慣れた態度で入店されたので「お支払いですか」と問うと「初めてです」との返答でした。そのお客様は他社でご利用されていて、当社へ新規で来られた方でした(笑)

初めてのお客様は入店するのに不安なのです。

 

入店してももう一つ不安があります。私は一度マルイで買い物した時に「丸井のカード」を勧められてカウンターで申込書を記入して審査を受けた時のことが鮮明に残っていました。申込書を記入して、いくつか質問されて、責任者らしき人が申込書を見て受付担当者と話している一連の時間に感じた「いた堪れないほどの不安」は忘れらえません。対面しての与信審査は出来たら避けたいのがお客様の心理です。

「人がいる店舗に入るのが恥ずかしい」、「対面でいろいろと聞かれるのが恥ずかしい」、「断られないか心配で恥ずかしい」、、そうです、「恥ずかしい」のです。だからお客様は返済も借入も対面しないATMに向かうのです。ATMと同じように対面しない契約機があればもっともっと新規が獲得できるのではないかと空想(笑)しておりました。

 


3.無人契約機で新規が獲得できるか?

昭和54年12月に銀座支店へATMが設置されました。それまではCD(自動貸付機)でしたがようやく入出金が出来る24時間対応のATM(自動貸付入金機)でした。まだその頃は都市銀行でも一部にしかATMは導入さていませんでした。私がいた支店は小型店でしたからいつになったらATMが設置されるか分かりません。なぜ、ATMを設置してほしいか?それは期日管理を良くするツールだと思っていました。延滞されるお客様の言い訳が「6時の営業時間までに支店へ行けない、土日でないと支店へ行けない」この声は言い訳でもあり、真実でもあります。ATMカードを発行したらこれらのお客様の利便性が良くなり返済しやすく、言い訳もできません。小型支店からATMがある大型支店へ赴任して直ぐに取り組んだのはATMカードを全顧客へ発行することにしました。そうしたらほとんどのお客様がATMに向かわれました。その利用時間は営業が終了した後の19時前後が圧倒的でした。ATM効果です。もう一つの現象は1回のご利用額(出金額)がみるみるうちに10万円単位から数万円、数千円と少額の利用者が増えたことです。CL(クレジットライン・与信)限度額にいつも張り付いた残高で延滞も少なくなってきました。

 

お客様は「人より機械」が利用しやすいのです。新規のお客様も当然のことですが「人より機械」が良いはず(仮説)です。「新規申込書(登録カード)の記入案内、持参書類の確認、契約書の記入、ATMカードの発行」が出来る新規受付機を開発出来れば無人店舗が出来そうだ、とイメージが少しずつ固まってきました。新規受付機を開発しても新規のお客様に受け入れられないと開発は失敗です。しかし、ATMをご利用のお客様やほかの業種でも自動販売機など機械化はコスト削減だけでなくお客様の潜在ニーズも機械化を欲していると当然のことと思うようになってきました。

社員がいない店舗で対面をしない無人店舗:新規受付機があればお客様はそれを絶対利用するはずだ、と確信するに至りました。しかし、それは夢想しているだけで現実のものとはそれまで結び付かないものでした。

 

平成2年当時は盛んに出店しましたが、新規出店をする一方で近隣の集客が出来ない支店を閉鎖する統廃合がメインでした。それまでの駅前出店からロードサードへの出店でした。しかし、廃店する店舗も相当の設備投資をしていました。

その店舗を1名だけの社員にしたら、出来れば無人化して新規受付専門支店へ変更できないかと、活用法は見つかりませんでした。

  


4.無人契約機とIT技術

◆社員がいない店舗というと無人店舗しかない、ではどのようにして無人店舗に出来るのか? 消費者金融の店舗の役割で一番重要なのは「新規獲得」、新規契約を社員じゃなく機械で出来ないものか? 新規受付ができる無人契約機で与信審査と契約書作成そしてカード発行が出来たらあとはATMがあれば店舗として十分機能する、しかし、無人契約機はどのような構造でどのような機器を使って作れるのか、必要な機能は何か、持参書類で一番多い免許証と来店者の顔を見比べることが出来たら、どうにか審査が出来そうだ、それなら無人店にテレビ電話とFAXとカード発行装置を設置して管理店でテレビ電話とパソコンとFAXがあれば、申込書はFAXで受け取れたら大丈夫、管理店の操作でキャッシュカードを発行出来たら、このような機械装置を作れそうな会社があったらいいけどねと、そんなことを当時のシステム部長とディスカッションしていました。

 

◆無人店舗はテレビ電話がベースになりそうで、それに強いシステム会社がないか・・・そんな時にシステム部長から「無人店舗に前向きな会社があるよ」と言われてその会社を訪問しました。その会社は、インターネット、パソコン、携帯電話、テレビ電話で最先端の技術を持っていたNECさんでした。無人店のことを相談したところ大いに盛り上がり「開発出来そうです」との感触で、いよいよ夢想していたものが現実化しそうだと思えてきました。

 

◆しばらくしたらデモ機のシステムイメージを提案して頂くことが出来ました。 

無人新規受付機で重要な機能は来店者と持参書類の免許証とを比較確認することが出来るか?です。持参書類で大多数が免許証でしたからそれと来店者の顔写真をパソコン画面で比較する、そのシステム化が出来るかでしたが、免許証と来店者の顔をCCDカメラで撮影してそのデータをテレビ電話技術を使って管理センターのパソコンへ表示することが出来ると説明を受けた時には、それなら大丈夫じゃないかと、実感しました。

 

◆無人店とセンターで技術的に何が難しいかというと、「店舗でカメラ撮影した画像を管理店舗へ電送して画面に映す」という「電送技術、電送回線=電話回線」でした。ちょうどその頃、NTTが公衆電話で使うアナログ回線からデジタル回線:ISDN(又はINS)回線の普及設置に取組まれており、ISDNはデジタル回線のため電話とFAXを使いながらインターネットを利用できるものでした。このISDN回線(インターネットと電話が同時に使える)の普及と無人契約機のIT技術がマッチして無人機と管理店が「電話とカメラとFAXとインターネットでつながり遠隔操作が出来る」、そして来店者の撮影の画面が写真的なものでなく動画としてスムーズに見れるものでした。無人契約機のアイデアとIT技術、ISDNが時代的に合致して無人契約機ができました。このISDNと数年後Windows95の発売によりパーソナルコンピュータ:いわゆるパソコンが爆発的に普及しました。無人契約機はその2年前に開発したのです。NECさんなしにはむじんくんは開発出来ませんでした。ATMを開発していた他のシステム会社へ相談しましたがいずれも消極的でした。

 


5.無人契約機の開発承認

平成3年当初にNECさんと無人機について打ち合わせしていたのですが、アコムでこのことを知る人はシステム部数名と業務統括部の数名、それに営業本部長常務でした。

これは秘密裏に進めていましたから当然「無人契約機」と言っても誰も知らなくて当然です。しかし、支社長には機会を見つけては説明しましたが「ふーん」でした(笑)

 

NECさんと無人契約機の機能と構造のイメージが出来上がってきたので、平成4年1月に九段の本社ビルの1階会議室に常務営業本部長と4人の支社長に対してNECさんの無人契約機のデモ機を基に開発説明会を行いました。

FAXとカメラとパソコンがむき出しで無人店と無人契約機の構想を説明しましたが、本部長・支社長からは何も質問も出ずに反応がない寂しいプレゼンとなりました。当時の店舗出店はロードサイド店の集客が好調であったため駅前・市街地出店からロードサイド店舗には興味があったけれど、店舗経費削減や新規集客のツールとしての無人契約機には興味が向かなかったのです。反応は今一でしたが反対もなかったので営業企画部から常務会に付議され特に質問等もなく開発承認を受け1年かけて開発がスタートしました。

営業本部でも「あんな無人契約機は失敗するさ、失敗したらこんな多額の開発費掛けたのだから責任取ってもらわないと・・・」などの話が聞こえてきましたが、私は自信がありました。失敗するはずがないと。

しかし、無人契約機が開発されていることはほんの一部の人しか知らないで開発することになりました。

 

開発を担当してくれたのは営業企画部に凄く仕事ができる課長代理がいました、業務が分かりフローチャートが分かる勘の良い課代が中心となり順調に開発出来ました。無人機を実際に開発してくれたのは課代と数人のチーム、そしてシステム部とNECの皆さんでした。

 


6.むじんくんの誕生

システム部と営業企画部とNECの開発プロジェクトチームとの皆さんのご努力により平成5年3月、無人契約機4台が出来上がりました。当時は4支社でしたから支社に1台の設置を予定しての4台となりました。

無人契約機を開発の過程で開発プロジェクトメンバーでは、この機械の呼び名が自然に「むじんくん」と呼ぶようになり、正式な呼称を決めるときには「むじんくん」と決まりました。

 

さて、4台の「むじんくん」が完成しましたので4人の支社長へ設置の相談をしましたが、ロードサイド店舗の開拓に目が行き「むじんくん」には興味がなく誰も前向きに検討して頂けない状況でした。この頃は出店と閉店、いわゆる統廃合をして新規集客が出来ていない店舗をたくさん閉店してロードサイド店舗に出店しておりました。そこで閉店候補の店舗に「むじんくん」を設置して閉店を2年ほど保留にしてむじんくん効果を見てほしいと依頼したところ仙台の店舗が候補に挙がり、そこにむじんくん第1号を設置するために地区マネージャーや支店長、社員と研修などの導入準備を進めてました。

ところが営業統括部の店舗チームからその店舗は半年後に閉店計画に挙がっておりますよと知らされて、あわてて支社長へ閉店計画の変更をお願いしましたが変更許可をもらえず、急遽設置を中止しました。そのくらいに無関心だったのです。

 

無人店に対して営業現場サイドでは関心がなかったのです。社長からも「そう焦らずゆっくりと進めなさい」とのことでしたが推進担当としてはそうは行きません。それから支社長の皆さんへの説明を繰り返し、ようやく東京支社長が閉店候補の店舗を延期してむじんくんの設置を受け入れて頂くことが出来ました。 

むじんくんの第1号設置店は新宿の閉店候補、新宿アルタ店と決まりました。アルタは有名なビルでその並びで、人通りは少ない裏通りですが、新宿なら日本一の繁華街であり地域的には最適でした。東京が決まると福岡でも繁華街の中州に第2号店を設置することが決まり、その後、大阪、札幌に設置が決まりました。

 

 


7.むじんくんの躍進

当時の店舗の新規獲得数は1店舗平均ひと月に20件でした。ひと月に全社でも新規獲得数は18,000件程度でした。年間の新規数は20万件弱です。新規客の獲得が業績に直接影響するのです。廃店店舗をローコストの新規集客専門店に形態変更出来たら飛躍的に新規が増加して業績も一気に向上するはずです。

むじんくんで新規客がどれだけ獲得できるか未知のことで不安もありました。

むじんくん、無人契約機と言っても誰も想像できない、初めての言葉、機械ですからそのことを理解して頂くためには機械のことを説明する記事広告を中心にしようと宣伝部とも話し合いして、当初から記事風広告を展開して説明広告を繰り返しました。支社長達には関心がなかったむじんくんですが新宿支店の支店長や社員達は初めての取り組みであったからみんなが積極的に試行トレーニングや準備に取り組みました。

 

無人機設置店の新規獲得数は月を追うごとにうなぎ上りに増加していきました。月に50件を超え、100件になると周りの支店長やマネージャー、営業部長も関心を示すようになりました。

その年度の年間新規獲得数ではベスト5のうち4店舗がむじんくん設置店になりました。ひと月に100件を超える新規獲得店舗はわずかでしたがむじんくん店舗が記録を塗り替えていき、中には月間600件の獲得店舗が出てき、競合の他社から盛んに見学が来る事態になりました。

無人機は当初の構想では「無人店にむじんくんを設置して母店が管理する」という計画でしたが、むじんくんの新規集客力が見えてきて有人店舗への設置希望が出るようになり、次々と有人店舗のATMの脇にむじんくんの設置が進みました。なのでお客様や他社の方などから、「アコムのむじんくんは裏に社員がいて無人じゃないよ」などと言われていました。年間の新規獲得数が20万件でしたがピークでは60万件を超えるまでに、これも「むじんくん」の躍進の結果です。

 


8.むじんくんと上場店舗実査

むじんくんの第1号設置から1年して東証二部上場の審査の一環で店舗実査があり、その実査の店舗には1号店の新宿の店舗とすることとしました。新宿の店舗にすることはかなり前から想定して無人店と管理店の支店長マネージャーの皆さんと入念に実査準備を行いました。

実査はぶっつけ本番、一日その場限りですからみんな緊張の中で当日を迎えました。まあー中でも私が一番緊張していました(笑)東証の上場審査官を案内して入店して、支店長マネージャーと副支店長が挨拶をして支店の役割等を説明してから、先ず管理店から300m程離れた無人店:アルタ支店に審査官をご案内して、無人契約機むじんくんとATMの構造などを説明。そして、管理母店に帰り母店での店頭業務、債権管理などの後方業務を説明して、次にむじんくんの管理店としての新規受付業務の実態を見て頂くこととなりました。

直ぐに最初のお客様が来られました。むじんくんを通じてお客様の顔がパソコンに出て応対がスタート、持参の免許証をFAXで受けて、申込書を記入して頂く間に、免許証のコピーから情報センター確認と住居地図確認、免許証とパソコンの顔画面の確認、申込書から勤務先電話確認、勤務先の帝国データベース確認、これが流れ作業で手際よく数分のうちに副支店長の元に集まり、与信審査となりました。

その間の様子を身じろぎもせずじっと観察している審査官は、小声で「流れ作業で凄いスピードですね」、「契約ですか」と、「副支店長が決裁します」と説明、暫くして副支店長から受付担当者に「今回はお断りして下さい」と指示されました。本件は融資お断りとなりました。

審査官から「お断りは多いのですか」と支店長への質問に「2割から3割はお断りとなります。今回は総合判断でお断りしました。」この場面は上場審査における店舗実査にとってとても重要な場面でした。

「消費者金融は誰にでも融資する」とみる人もいました。また、「どのようなことを確認してどのような手順で与信審査するのか」、与信の実態がある意味ブラックボックスでもありましたから、事前に審査官に融資審査手順や審査内容、そして契約率などを説明してきております。その規程マニュアルの説明内容と実査が一致することが重要なのです。私もまずは胸を撫でおろしました(笑)

その後続けて二人目の新規のお客様が来店され、受付が始まりました。先ほどのように受付審査が進み、今回は与信額が出されて、契約となりました。

予定通りの店舗実査が終わり、帰りがてらに審査官から「今日はむじんくんの素晴らしさや与信審査手順の見事さに感動しました。」とのコメントを頂きました。

 

後日談ですが、当社が無事に上場してから上場審査の担当官とお会いした時に、上場審査は同じ時期に審査官の同僚がプロミスの審査をされていてアコムには「むじんくん」があったけどプロミスにはなかったのでアコムを担当出来て良かったと審査官から言われてわたしも嬉しくなりました


9.ラララ♬、むじんくん

むじんくんの広告は記事風広告を展開してきましたが、徐々に口込みでの紹介新規が増えてきました。テレビCMでも「誰もいない、むじんくん」などが放映されて益々むじんくんが脚光を浴びてきて、消費者金融会社が雪崩を打つように無人機を導入、それぞれ「いらっしゃいましーん」「お自動さん」「¥enむすび」などのネーミングをしてましたが、一番有名なのは「むじんくん」でした。

 

そんな時に電通様から「宇宙人、ラララむじんくん」が提案され、オンエアされると一気にCMが大ヒットして、宇宙人とラララむじんくんのフレーズがマッチして子供も口ずさむほどになって、むじんくんが一世を風靡しましたが、それが後々過剰貸付を誘引したと批判を受けることにもなりました。


10.マン&マシン与信システム

むじんくんは開発構想段階から無人店舗の開発が狙いでした。人件費などでコストが高い有人店舗ではなくATMのような自動新規契約受付機だけの無人店舗に、無人契約機は管理センターで社員:マンが与信コントロールする仕組みを構想としていました。

貸付ノウハウの向上の際に与信勉強会などを展開して支店長(ヒト、マン)のスキルアップが必要だと取り組み、次に標準化のためにはコンピュータマシンの活用で与信スコアリングの精度向上を図り、全社的に与信の標準化にはコンピュータ(マシン)を採用することで個人間のバラつきがなくなり与信コントロールができるようになり、それによって融資額をいくらアップするにはどこのクラスターの与信をアップしたら良いかをシミュレーションできるようになります。

人と機械を使って与信を提供するシステム「マン&マシン与信システム」の構築です。

そのために与信力の強化のために与信ノウハウ勉強会や与信スコアリングシステムの開発を通じて与信精度向上のシステムの基礎を構築したのです。そしてまたそののシステムに「集客マシンのむじんくん」を設置した無人店舗を作り上げ、ヒトと機械・システムを組み合わせたマン&マシン無人店舗システムを作ることが出来ました。

 

この当時は消費者ビジネスでは盛んに(電話)コールセンターが注目されていました。ここまで来たら無人店舗を徐々に増やし有人店舗も無人化にして営業店を集中管理センター化することが命題となっていました。しかし、常に変革、変化はたやすく出来ることは少ないのです。どのようにして自然の流れのように変化、変革するかが大事なのです。

また、モデルエリアを作って仕掛けを作りました。


11.【むじんくん】の管理母店集中化

むじんくんは開発構想段階から無人店舗の開発が狙いでした。むじんくんが有人店舗に設置されて新規獲得も順調になっているときに有人店舗を無人店へ変更しますと声高には話せません。しかし、有人店舗へのむじんくん設置が行き渡ると次は本当の「無人店と管理センター」へと移行するしかありません。そのために電話ボックスに似た「むじんくんボックス店舗」を広告担当の子会社に作って貰って無人店舗を展開するようなりました。最寄り支店を管理センターとしていたが、それだと母店との区別がつかなくなってきました。新しい店舗組織形態が必要になってきました。

有人店舗が600ヶ店,無人店舗が2,000ヶ所、その時の店舗ネットワークの機能と管理態勢はどうすべきか?無人店の将来構想は機会を見て支社長等の皆様へは説明してきましたが、なかなか受け入れてもらえない状況が続きました。しかし、営業本部ではしっかりした将来図を描いていくのが当然大事なことです。

支店(支店長)中心から地区(マネージャー)中心の営業店運営への転換が必要でした。そしてその転換は地区(マネージャー)から地域(営業部長)へ、次に地域(営業部長)から支社(支社長)へと管理センターを統合していくことになります。

 

そこで支店集中化に取り掛かることにしました。今までもそうでしたが、このようなプロジェクト・プランはトップの営業本部長に説明をして賛同を得たら、全体の理解よりも個別突破が有効であることはQC活動(その後CS活動)やむじんくん設置で体験してましたから、モデル地区を理解度の高い新橋地区でテスト施行することとしました。それまで支店長であった人が地区に支店長マネージャーは一人、その他の支店長は副支店長になるのですからモラルの低下が心配でした。しかし、いずれ全社的にそうなると説明しながら着々と支店統合を勧めました。支店統合しても業績に変化は有りません、しかし、確実に人余りが出てきます。集中化による生産性のUPです。その効果を見て支店統合を勧めました。

 

そうすると地区統合するところも出てきて地域管理センターが出来、地域が一体化して支社管理センターらしきところも出てきて、ついに4支社それぞれが管理センターを一本化して、それも現在は2か所になっているようです。

12.むじんくんが台湾の銀行で活躍

むじんくんの開発の構想を練って開発会社を探してくれた元システム部長は既にアコムを定年退職して台湾の銀行で仕事をしていて、久しぶりに会いたいと訪ねて来られました。

台湾のビジネスを聞くと銀行のカードローンの導入コンサルタントをしていて人材がいないから手伝ってほしいとの要請があり、手伝うことにしました。

その銀行は50行ほどある銀行では中堅の規模でしたが、いち早くカードローンを開始していたのでカードローン市場では最大の規模になっていました。

台北に行きその銀行の董事長と食事をしながらお話ししてコンサルすることに了承を得て、週末に時々お手伝いを始めました。その時に董事長はシステム部長がむじんくんの開発者であり、台湾でもむじんくん生みの親、台湾カードローンの生みの親と新聞でも紹介されていました。元システム部長からは台湾ではそのように扱われているから引き立てて下さいと頼まれました。むじんくんが台湾でも活躍していました。