1.無人契約機の誕生の背景

消費者金融に限らず金融業界での店舗は有人店舗が当然でしたが、平成5年7月に初めて無人店舗と言える「無人契約機と自動入出金機(ATM)」だけの社員不在の店舗が新宿に出来ました。この無人契約機「むじんくん」と無人店舗はどのような経緯で生まれたのかお話しましょう。
昭和58年に大幅な貸金業法の改正があり、多くの貸金業者が閉鎖、縮小しました。アコムでは昭和58年当時は600店舗近く出店していましたが、2年後には4割程が統廃合されました。その後3年ほどは新規出店どころではなく債権管理と経営の立て直しに精一杯でした。しかし、貸金業改正ショックから立ち直り再び出店攻勢が始まりました。平成2年度の下期には半年で95店舗の新店が出店されました。出店店舗には3名の社員、ATMやパソコン事務機器、店舗家賃や工事費、看板設置費用、広告費などが掛かるため店舗当たりでは初年度に5千万円程度の大きな費用負担となります。従って、新規出店を大量にしたらその年度も翌年度も新規店舗のほとんどが赤字ですから莫大な年間経費の増加となり収益が低下します。その新年度の予算繰りをしているときに「こんなに経費が増えるのは新店に経費が掛かりすぎるからだ、もっと費用が掛からない新店舗は出せないのか、研究してみろ!」という天の声(社長)が出てきたのです。
店舗は最大どのくらいの店舗数が出店可能なのか?600店舗に近くなったら業法改正で大打撃を受けて6割まで統廃合したばかりでした。しかし、個人的にはある思いがありました。それは昭和61年に日経新聞の主催でアメリカへ視察旅行をしたときに小売り最大手のシアーズやデパートのサックスフィフス・アベニューなどの流通業界の視察をしました。その時にスーパーの店舗数が3000以上あり、チェーンオペレーションやマニュアルの重要性など学びました。日本でもコンビニが数千店になっていたし自動販売機なら数十万件あるから無人店を2千ヶ所出しても行けるのではないかとイメージしていました。
(談話:このアメリカ視察に社内で3人が参加してその報告を社長へしたら、それほど刺激を受けるなら定期的に視察団を派遣してみようかとなりその後の海外研修制度が始まりました。)
新店舗の費用内訳をみると「広告費と人件費」が大きな費用です。費用を削るとしたら人件費、社員数を削減できないか? それをクリアするには「有人店舗を無人店舗にするしかない、しかし、無人店舗なんか作れないよ」。店舗の無人化?無人貸付入金機のATMはあるけど無人の新規受付機は開発できるのか?
2.新規の客様の心理
営業店の支店長をしているときの一番の悩みは「新規獲得と期日管理(延滞管理)」です。毎旬、毎月の数字を見るのが、考えるのが、辛くなります。二つは支店運営の車の両輪であるから無茶な新規獲得したら直ぐに期日管理が悪化してしまう、かといって新規獲得が弱いと融資残高がアップせず期日管理も良くならない、そうすると支店の運営で一番重要なのは新規獲得なのです。
支店長の最大の責任と悩みは、「新規獲得と期日管理(延滞管理)」の数字です。毎月の支店長会議でこの数字が良い時はニコニコ顔、一方悪い支店の店長は泣きそうな顔で下を向いていました。当然、業績評価もこの数字次第でした。どうしたら新規が獲れるか、どうしたら期日管理が良くなるか、それが支店長の仕事でした。期日管理を良くするには新規の良客を獲得するのが一番です。新規の良客を獲得すれば延滞は発生しない、分母の残高は増加するから期日管理(延滞率)も良くなるのです。
私が支店長をしていた新店は山手線でも下から何番目の乗降客が少ない駅前店舗でした。どうしたら集客できるか、いつもサブ(社員)と議論していました。議論していても尽きないのでお店の周りをしょっちゅうぶらぶらとしてしていました。支店が入ったビルにはもう1社の同業の店舗が入っていました。時々、お客様らしい方がビルに入って行きます。よくその人を見ているとビルの近くで看板を眺め、ビル入り口を見て、一度入口まで来て一度通り過ぎてまた戻って来て、覗き込むようにして不安げにビルに入られました。躊躇い(ためらい)があるようでした。新規受付を多数経験していると入店されたその雰囲気でほとんど新規客か既存客かが判断できます。私は5,000人以上の新規受付をしましたから新規のお客様の態度ですぐに判別出来ました。入店されて一目で「初めてのご利用ですか?」とお声をかけてカウンターへ案内します。しかし、時々間違うことがありました。慣れた態度で入店されたので「お支払いですか」と問うと「初めてです」との返答でした。そのお客様は他社でご利用されていて、当社へ新規で来られた方でした(笑) 他店利用のため不安がないのです。
ドアを開ける不安以外にもう一つ不安があります。私は一度マルイで買い物した時に「丸井のカード」を勧められてカウンターで申込書を記入して審査を受けた時のことが鮮明に残っていました。申込書を記入して、いくつか質問されて、責任者らしき人が申込書と私を見て受付担当者と話している一連の時間に感じた「居た堪れないほどの不安」は忘れらません。人と対面しての与信審査は出来たら避けたいのがお客様の心理です。
「人がいる店舗に入るのが恥ずかしい」、「対面でいろいろと聞かれるのが恥ずかしい」、「断られないか心配で恥ずかしい」、そうです、「恥ずかしい」のです。だからお客様は返済も借入も対面しないATMに向かうのです。ATMと同じように対面しない無人の契約機があればもっともっと新規が獲得できるのではないかと空想(笑)しておりました。
3.無人契約機で新規が獲得できるか?
昭和54年12月に銀座支店へATMが設置されました。それまではCDでしたがようやく入出金が出来る24時間対応のATMでした。まだその頃は都市銀行でもATMは一部にしか導入さていませんでした。私がいた支店は小型店でしたからいつになったらATMが設置されるか分かりません。なぜ、ATMを設置してほしいか?それは期日管理と融資残高を良くするツールだと思っていました。延滞されるお客様の言い訳が「6時の営業時間までに支店へ行けない、土日でないと支店へ行けない」この声は言い訳でもあり、真実でもあります。ATMカードを発行したらこれらのお客様の利便性が良くなり返済しやすく、言い訳も出来なくなります。小型支店からATMがある大型支店へ赴任して直ぐに勧めたのはATMカードを全顧客へ発行することにしました。そうしたらほとんどのお客様が店頭に来られず、ATMに向かわれました。その利用時間は19時前後が圧倒的でした。ATM効果です。もう一つの現象は1回のご利用額(出金額)がみるみるうちに10万円単位から数万円、数千円と少額の利用者が増えたことです。CL限度額にいつも張り付いた残高で延滞も少なくなってきました。
お客様は「人より機械」が利用しやすいのです。新規のお客様も当然のことですが「人より機械」が良いはず(仮説)です。「新規申込書(登録カード)の記入案内、持参書類の確認、契約書の記入、ATMカードの発行」が出来る新規受付機を開発出来れば無人店舗が出来そうだ、とイメージが少しずつ固まってきました。新規受付機を開発しても新規のお客様に受け入れられないと開発は失敗です。しかし、ATMをご利用のお客様やほかの業種でも自動販売機など機械化はコスト削減だけでなくお客様の潜在ニーズも機械化を欲しているとムリなく思うようになってきました。
社員がいない店舗で対面をしない無人店舗:新規受付機があればお客様はそれを絶対利用するはずだ、と確信するに至りました。
実際に開発、設置するまでには色々な意見(きっと失敗するさ等)、興味がなく無視(無人店は集客できない等)されるよとかでした。しかし、設置して新規が急増してきたら、「むじんくんは私の発想だ、自分が成功させたのだ」などたくさんの自慢話があったようです。
確かにむじんくんが成功したのはたくさんの社員や関係者の努力の賜物であります。
4.無人契約機とIT技術

社員がいない店舗というと無人店舗しかない、ではどのようにして無人店舗が作れるのか? 消費者金融の店舗の役割で一番重要なのは「新規獲得」、新規契約を社員じゃなく機械で出来ないものか? 新規受付ができる無人契約機で与信審査と契約書作成そしてカード発行が出来たらあとはATMがあれば店舗として十分機能する、しかし、無人契約機はどのような構造でどのような機器を使って作れるのか、必要な機能は何か、持参書類で一番多い免許証と来店者の顔を見比べることが出来たら、どうにか審査が出来そうだ、それなら無人店にテレビ電話とFAXとカード発行装置を設置して管理店でテレビ電話とパソコンとFAXがあれば、申込書はFAXで受け取れたら大丈夫、管理店の操作でキャッシュカードを発行出来たら、このような機械装置を作れそうな会社があったらいいけどねと、そんなことを当時のシステム部長とディスカッションしていました。
無人店舗はテレビ電話がベースになりそうでそれに強い会社がないか、そんな時にIBM出身でとても顔が広いシステム部長から「無人店舗に前向きな会社があるよ」と言われてその会社を一緒に訪問しました。その会社は、インターネット、パソコン、携帯電話、テレビ電話で最先端の技術を持っていたNECさんでした。無人店のことを相談したところ大いに盛り上がり「開発出来そうです」との感触で、しばらくしたらデモ機のイメージ提案を頂くことが出来ました。
無人店舗システムの中で技術的に何が難しいかというと、「店舗で免許証と顔写真をカメラ撮影した画像を管理店舗へ電送して画面に映す」という「電送技術、電送回線=電話回線」でした。ちょうどその頃、NTTが公衆電話で使うアナログ回線からデジタル回線:ISDN(又はINS)回線の普及設置に取組まれており、ISDNはデジタル回線のため電話とFAXを使いながらインターネットを利用できるものでした。このISDN回線(インターネットと電話が同時に使える)の普及と無人契約機のIT技術がマッチして無人機と管理店が「電話とFAXとインターネット」でつながり会話と画面が機械的なガクガクの動き写真ではなくスムーズに見れるものでした。無人契約機のアイデアとIT技術、ISDNが時代的に合致して無人契約機ができました。このISDNと数年後Windows95の発売によりパーソナルコンピュータ:いわゆるパソコンが爆発的に普及しました。無人契約機はその2年前に開発したのです。NECさんなしにはむじんくんは開発出来ませんでした。相見積もりのためにATMを開発していた会社へ相談しましたがいずれも消極的でした。
5.無人契約機の開発承認

平成4年1月に九段の本社ビルの1階会議室に常務営業本部長と4人の支社長に対してNECさんの無人契約機のデモ機を基に開発説明会を行いました。電話とFAXとカメラとパソコンむき出しで無人店と無人契約機の構想を説明しましたが、支社長からは何も質問も出ずに反応がない寂しいプレゼンとなりました。当時の店舗出店はロードサイド店の集客が好調であったため駅前・市街地出店からロードサイド店舗に目が行って店舗経費削減、新規集客のツールとしての無人契約機には興味が向かなかったのです。反応は今一でしたが反対もなかったので担当部の営業企画部に依頼して常務会に付議され特に質問等もなく開発承認を受け1年かけて開発がスタートしました。
6.むじんくんの誕生

開発プロジェクトチームの皆さんのご努力により平成5年3月、無人契約機4台が出来上がりました。当時は4支社でしたから支社に1台の設置を予定しての4台となりました。
無人契約機を開発の過程で開発プロジェクトメンバーでは、この機械の呼び名が自然に「むじんくん」と呼ぶようになり、正式な呼称を決めるときには「むじんくん」と決まりました。
さて、4台の「むじんくん」が完成しましたので4人の支社長へ設置の相談をしましたが、ロードサイド店舗の開拓に目が行き「むじんくん」には興味がなく誰も前向きに検討して頂けない状況でした。この頃は出店と閉店、いわゆる統廃合をして新規集客が出来ていない店舗をたくさん閉店してロードサイド店舗に出店しておりました。そこで閉店候補の店舗に「むじんくん」を設置して閉店を2年ほど保留にしてむじんくん効果を見てほしいと依頼したところ仙台の店舗を勧められました。そこにむじんくん第1号を設置する準備を現場のマネージャー達と進めていましたが、その店舗は半年後に閉店計画に挙がっており、支社長へ閉店計画の変更をお願いしましたが許可をもらえず、急遽設置を中止しました。
無人店に対して支社、営業店では関心がなかったのです。社長からも「そう焦らずゆっくりと進めなさい」とのことでしたが推進担当としてはそうは行きません。それから支社長の皆さんへの説明を繰り返し、ようやく東京支社長が閉店候補の店舗を延期してむじんくんの設置を受け入れて頂くことが出来ました。当初から閉店候補の店舗へむじんくんを設置してその効果を判断したかったのです。むじんくんの第1号設置店は新宿の閉店候補、新宿アルタ店と決まりました。新宿なら日本一の繁華街であり立地的にも最適でした。東京が決まると福岡でも繁華街の中州に第2号店を設置することが決まり、その後、大阪、札幌に設置されました。
7.むじんくんの躍進
当時の店舗の新規獲得数は1店舗平均ひと月に20件でした。ひと月に全社でも新規獲得数は18,000件でした。むじんくんの広告は当初から記事風広告を展開して説明広告を繰り返しました。
無人機設置店の新規獲得数は月を追うごとにみるみる増加してその年の年間新規獲得数ではベスト5のうち4店舗がむじんくん設置店になりました。ひと月に100件を超える新規獲得店舗はわずかでしたがむじんくん店舗が記録を塗り替えていき、数年後に600件の新規獲得店舗が出てきて競合の他社から盛んに見学が来る事態になりました。
無人機は当初の構想では「無人店にむじんくんを設置して母店が管理する」という計画でしたがむじんくんの新規集客力が見えてきて有人店舗への設置希望が出るようになり、次々と有人店舗のATMの脇にむじんくんの設置が進みました。なのでお客様や他社の方などから、「アコムのむじんくんは裏に社員がいて無人じゃないよ」などと言われていました。年間の新規獲得数が20万件でしたがピークでは60万件を超えるまでに、これも「むじんくん」の躍進の結果です。
8.むじんくんと上場店舗実査
むじんくんの第1号設置から1年して東証二部上場の審査の一環で店舗実査があり、その実査の店舗には1号店の新宿の店舗とすることとしました。新宿の店舗にすることはかなり前から想定して無人店と管理店の皆さんと入念に実査準備をしてきました。
実査はぶっつけ本番、一日その場限りですからみんな緊張の中で当日を迎えました。東証の審査官へ支店長マネージャーと副支店長が役割等を説明してから、先ず管理店から300m程離れた無人店に審査官をご案内して、無人店の無人契約機むじんくんとATMの構造を説明。そして、管理母店に帰り母店での店頭業務、債権管理などの後方業務を説明して、次にむじんくんの管理店としての新規受付業務の実態を見て頂くこととなりました。
直ぐに最初のお客様が来られました。むじんくんを通じてお客様の顔がパソコンに出て応対がスタート、持参の免許証をFAXで受けて、申込書を記入して頂く間に、免許証のコピーから情報センター確認と住居地図確認、免許証とパソコンの顔画面の確認、申込書から勤務先電話確認、勤務先のデータベース確認、これが流れ作業で手際よく数分のうちに副支店長の元に集まり、与信審査となりました。
その間の様子を身じろぎもせずじっと観察している審査官は、小声で「流れ作業で凄いスピードですね」、「契約ですか」と、「副支店長が決裁します」と説明、暫くして副支店長から受付担当者に「今回はお断りして下さい」と指示されました。本件は融資お断りとなりました。
審査官から「お断りは多いのですか」と支店長への質問に「2割から3割はお断りとなります。今回は総合判断でお断りしたようです。」この場面は上場審査における店舗実査にとってとても重要な場面でした。「消費者金融は誰にでも融資する」とみる人もいました。また、「どのようなことを確認してどのような手順で与信審査するのか」、与信の実態がある意味ブラックボックスでもありましたから、事前に審査官に融資審査手順や審査内容、そして契約率などを説明してきております。その規程マニュアルの説明内容と実査が一致することが重要なのです。私もまずは胸を撫でおろしました(笑) その後続けて二人目の新規のお客様が来店され、受付が始まりました。先ほどのように受付審査が進み、今回は与信額が出されて、契約となりました。
予定通りの店舗実査が終わり帰りがてらに審査官から、「今日はむじんくんの素晴らしさや与信審査手順の見事さに感動しました。」とのコメントを頂きました。
後日、当社の上場審査を担当した審査官と会食する機会があり、審査官の同僚が並行してプロミスの上場審査をされていてむじんくんの話が出ていたようです。その審査官から「アコムにはむじんくんがあったけどプロミスにはなかったのでアコムを担当出来て良かった」と審査官から言われてわたしも嬉しくなりました。
9.ラララ♬、むじんくん

むじんくんの広告は記事風広告を展開してきましたが、徐々に口込みでの紹介新規が増えてきました。テレビCMでも「誰もいない、むじんくん」などが放映されて益々むじんくんが脚光を浴びてきて、消費者金融会社が雪崩を打つように無人機を導入、それぞれ「いらっしゃいましーん」「お自動さん」「¥enむすび」などのネーミングをしてましたが、一番有名なのは「むじんくん」でした。
そんな時に電通様から「宇宙人、ラララむじんくん」が提案され、オンエアされると一気にCMが大ヒットして、宇宙人とラララむじんくんのフレーズがマッチして子供も口ずさむほどになって、むじんくんが一世を風靡しましたが、それが後々過剰貸付を誘引したと批判を受けることにもなりました。
10.【むじんくん】の管理母店集中化
むじんくんは開発構想段階から無人店舗の開発が狙いでした。むじんくんが有人店舗に設置されて新規獲得も順調になっているときに有人店舗を無人店へ変更しますと声高には話せません。しかし、有人店舗へのむじんくん設置が行き渡ると次は本当の「無人店と管理センター」へと移行するしかありません。そのために電話ボックスに似た「むじんくんボックス店舗」をJLAに作って貰って無人店舗を展開するようなりました。最寄り支店を管理センターとしていたが、それだと母店との区別がつかなくなってきました。新しい店舗組織形態が必要になってきました。
有人店舗が600ヶ店,無人店舗が2,000ヶ、その時の店舗ネットワークの機能と管理態勢はどうすべきか?無人店の将来構想は機会を見て支社長等の皆様へは説明してきましたが、なかなか受け入れてもらえない状況が続きました。しかし、営業本部ではしっかりした将来図を描いていくのが当然です。支店(支店長)中心から地区(マネージャー)中心の営業店運営への転換が必要でした。そしてその転換は地区(マネージャー)から地域(営業部長)へ、次に地域(営業部長)から支社(支社長)へと管理センターを統合していくことになります。
そこで支店集中化に取り掛かることにしました。今までもそうでしたが、このようなプロジェクト・プランはトップの営業本部長に説明をして賛同を得たら、全体の理解よりも個別突破が有効であることはQC活動(その後CS活動)やむじんくん設置で体験してましたから、モデル地区を理解度の高い新橋地区でテスト施行することとしました。それまで支店長であった人が地区に支店長マネージャーは一人、その他の支店長は副支店長になるのですからモラルの低下が心配でした。しかし、いずれ全社的にそうなると説明しながら着々と支店統合を勧めました。支店統合しても業績に変化は有りません、しかし、確実に人余りが出てきます。集中化による生産性のUPです。その効果を見て支店統合を勧めました。そうすると地区統合するところも出てきて地域管理センターが出来、地域が一体化して支社管理センターらしきところも出てきて、ついに4支社管理センターとなりました。